• 2013-11-21 23:17:22
  • 福岡市と福岡城と黒田官兵衛2
こんばんは!
NHKでようやく2014年の大河ドラマ
「軍師官兵衛」のサイトが立ち上がったみたいで、
大興奮中の岩永です。


過去にこんな日記も書いたので、
「2」にしてみました。

福岡市と福岡城と黒田官兵衛



先日、朝キャンパスで
こんな授業をやりました★


「歴女に聞く★ 来年の大河ドラマの主人公はどんなイケメン?~天神編~」


福岡市内は、
高齢者の方々を中心に「軍師官兵衛」ネタで
けっこう盛り上がってます。


若者はほとんど知りませんが、
140ほどある校区の公民館の多くが、
この「黒田官兵衛」の歴史講座とかやってたりして、
地域の高齢者たちが集まって勉強会やらやってるわけです。


福岡市だけじゃありません。
黒田家は筑前52万石。


北九州の黒崎あたりから、
朝倉の秋月あたりまで、
福岡県内の半分くらいは黒田家の領地だったわけで
(福岡県は、筑前と筑後を合わせたもの)
県内各地でも「黒田官兵衛」講座があっています。


でも・・・


すでに60を過ぎた多くの高齢者、
しかも多くは男性が参加していたり。


福岡に住む若者で
「黒田官兵衛!」って騒いでいるのは、
あんまり見かけません。


僕的には大興奮なんですが・・・


そんな中、
上に書いた授業を企画したわけですが、
さすがテンジン大学!


20・30代の女性もけっこう来てくれまして、
黒田官兵衛のこと全然詳しくないけど、
大河ドラマは見てみよっかなー、岡田くんだし、
的なノリで参加された方も多かったみたいで、
こんな機会があれば、歴史も楽しくなってきます。


さらに、
今回先生をしてくださった、
井上先生は、元国語の教師!
さらには、テンジン大学でも何度も先生していて、
「笑いの取り方」もいつの間にか習得し、
ここ2年ほどで数々の場数を踏み、
伝え方が上手です。


とくに若者の心を掴むのが上手!!


福岡市としては、
黒田官兵衛と長政親子がこの地に眠っており、
集大成として残していった福岡城と城下町を
今までほとんどPRしてきませんでした。


いや、PRしてきたんでしょうけど、
伝わってこなかった。
伝わってないということは、
存在すらなかったことと同義なので・・・。


日本各地のいろんなお城と城下町とみてきましたが、
僕的には、福岡城が一番難攻不落です。


よくお城って、
濠とその中の三の丸・二の丸・本丸・天守閣が
「お城」と思われていますが、
濠の外の道路や川や丘なども合わせて、
その全体で守り・繁栄してきています。


福岡城の場合は、
攻め込まれる脅威があるとしたら、
東側から。


とくに、
当時、小倉城を築いた豊前国を拝領していた
細川家と仲が良くなかったので、
筑前と豊前の国境沿いに、防衛拠点である城を築いています。


全部合わせて六端城(若松城・黒崎城・益富城・鷹取山城・麻底良城・松尾城)
なんて言われています。


そして、
福岡城の城下町は、
商人の街「博多」をも取り囲む、
御笠川沿いに、おびただしい数の「お寺」が。


これは黒田家が意図的に、
この場所に移しています。


同じように、
北は博多湾、
西は樋井川、
これらの水際に「お寺」を配置しています。


これらのお寺はほとんどが、
黒田家によって、この地に移されたものばかり。


江戸時代になり、
島原の乱が終わるといよいよ平和な時代になり、
防衛機能より、経済機能を考慮し、
福岡城の北、博多湾側はお寺よりも、
いろんな物資を船で行き来させる港と、
あと長崎港の警備も担当していたので、
そのための船着き場になっていき、
今でも「港」って地名になってますね。


そんな福岡市は
「博多」と「天神」とありますが、
こんなに近くにあるのに、
両方とも個性がある特徴的なまちで、
全然性格が違います。


これも、
黒田官兵衛・長政親子による
福岡城の城下町の設計によるもの。


戦国時代に、「博多」は
豪商がいたほど、商人の町として栄えていましたが、
九州・中国地方の大名が狙ってこの地に攻めてきました。


なんども焼けてます。


その後、
九州征伐を終えた秀吉によって、
博多の復興を命じます。


そのときに活躍したのが
黒田官兵衛。


石田三成やその他の
有能な官僚たちとともに、
博多の町割りをしました。


このときにできた通りが
今でも博多のまちにしっかり残り、
大博通りもこのときに。
そしてその通りの西側・東側を
「西流」「東流」と。


そう、
山笠の「流」はこのときにできました。


その後十数年ののち、
まさか今度は博多を含む、
筑前の国を治めるために、
自分が計画したところにやってくるなんて、
黒田官兵衛もびっくりだったでしょう。


しかし、
当初は筑前の拠点となる城は
東区の名島。


官兵衛・長政は、
やっぱり名島は小さく、不便と思います。


そして、
もともと鴻臚館もあり、
船着き場として昔から交易が盛んだった、
博多のすぐ近くの「福崎」というところの
赤坂山を削り、周りを埋め立て、
お城を築きました。


博多の町と最大限、共存共栄できるように。


そのときに、
今の福岡の街の基礎みたいなのが
完成したと言っていいでしょう。


さらに
福岡城から風水上の鬼門にあたるところに、
当時は今泉あたりにあった、
「容見天神」を今の天神一丁目に移し、
「水鏡天満宮」としたのが、その後の
「天神町」という町の名前になりました。


来年の大河ドラマの主人公は、
この福岡の街に、まったく無関係ではないのです。


むしろ、
天神・博多のまちづくりの最初の骨格を
作った人物と言っていいでしょう。


これは見ないわけにはいきません。


配役も続々決まってきてますね!!


NHKのホームページはこちら!!

→ 軍師官兵衛




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