- 2014-03-17 17:50:24
- イケダハヤトくんに会いました
-
カテゴリ: 世の中について
こんにちは
昨日まで東京に出張しておりました、
岩永です。
先日、佐賀の富士町で講演したとき、
たまたま前日に武雄市で講演していたイケダハヤトくんが
参加者に交じっていてお話することができ、
「会ってお話しましょう」ということで、
東京で小一時間ほどお話しました。
「イケダハヤトって?」
若くして独立し、
今はブログで主な生計を立てているという若者です。
⇒ イケハヤ書店
こちらがそのブログ。
1日に何本も記事を書き、
このブログ経由の本の販売や広告、
他にも各地で講演したりなど、
10年前にはなかったような働き方をしている若者です。
すでに結婚して子どももいて、
なんと、福岡か高知に移住を考えている、
というおもしろい人物でもあります。
+
これまた先日、
テンジン大学で「江戸しぐさ」の授業がありまーす!
とメルマガを送ったあと、1名の学生さん(実際は社会人)から
1通のお問い合わせをいただきました。
簡単に言うと
「江戸しぐさをテンジン大学が扱っていいのか?」
というご意見。
「どうゆうことだ?」と思った僕は、
江戸しぐさについていろいろ調べてみました。
※授業企画に向けて調べてますが、違う視点で調べました。
ネット上でも見つけたものとして、
「江戸しぐさは実証が不可能な、文書等に残っていない無形なモノを
あたかも体系化されており、江戸町人もそんな文化だった、というような
歴史をねつ造しているところがある」と。
なるほど、なるほど。
「江戸しぐさ」のWikipediaにも、ちょっと「?」のような記述もあり、
口伝えと言ってる時点でその疑惑は絶対に晴らせないですね。
江戸の町人が果たして「江戸しぐさ」の文化だったかどうか
に焦点を当てると、教科書に採用してしまった文科省や
連載記事をしている西日本新聞も、
「大きな間違い」を起こしたことになりますね。
もちろんテンジン大学も(笑)
でも、
批判している人たちを見ていると、
ちょっと矛盾しているところもあるなぁと。
文書が残っていたら歴史なのか?
と。
全世界共通して、歴史とは
文書や物的証拠があるものだけが歴史になっています。
考古学の世界では当たり前ですね。
ですが、その物的なモノがねつ造されたものだったら?
実は、口伝えのモノも、
物的証拠のモノも、
それが本当だったかどうかは誰も証明できないのです。
だって、南米の方の文化って
けっこう口伝えのいわゆる「口承文化」
もともとの民族の言語があったはずなのに、
今ではスペイン語やポルトガル語で文化が受け継がれていたり。
言語が変わったのに文化が継承されるって感覚、
日本人の僕にはあまりピンときませんけど、
口伝えはやはり伝言ゲームになりやすいので、
口承文化には「歌」や「踊り」がくっ付いて
一応目に見えるカタチになっていたりしますよね。
でもそれすらねつ造されたものだったら?
誰も過去の真実は見ることができないのです。
今回の江戸しぐさの件の真実はひとつ。
「江戸しぐさ」ということをブランド化し、
プロモーションした人が上手だった。
ということ。
世の中、どんなことでも
ある程度価値を認められるものであれば、
あとはブランド化してプロモーションが上手であれば、
それが世の中に広がって、そのモノ以上の価値を持ってしまう。
たとえそれが後世に作られたものでさえも。
「ダメだ!ねつ造はダメだ!」
「物的証拠がないものはダメだ!」
を正義としてしまうと、
僕は岩永の姓を名乗れません。
悲しいかな、何も証拠がありません。
お墓はあるけど。(でも祖父の代から。その前は??)
世の中、実はほとんどそんなもんですね(笑)
人間って、おおいなる矛盾を抱えて生活してるんだなぁ
とこの件を受けて思いました。
ただ、お問い合わせいただいた方とフェイスブックでも友達になり、
よくテンジン大学参加くださる方でしたので、
いろいろと意見交換しました。
「権威づけはよくない」
ということで、確かに僕が作成した授業の告知文が
権威づけに繋がる部分があったので、一部修正しました。
こうゆうやりとりができるって幸せだな、と思います。
+
冒頭で紹介したイケダハヤトくん。
ブログで食べてるってことで、
一昔前、「炎上マーケティング」なんて言葉が出てきたように、
彼の過激な発言で「なんだと!」「彼を叩け!」というのが
SNSなどで広がり、なおさら彼の知名度を上げた、
というのがあったようです。
いまもけっこう過激なこと言ってます(笑)
紙のライターよ、「文章の巧さ」を誇る暇があるなら「マネタイズ」を頑張りなさい(イケハヤ書店)
これに、年齢の高いベテランライターさんが
ツイッターで噛みついていて、
なんだかなぁ~と。
世の中、何が正しい、何が正義、
だなんて決められないくらい、
今では価値観が多様化してしまってますね★
このベテランライターさんの発言を
またいち個人が見て楽しんでいる。
そんなよくわからない、
価値観がもうありすぎて統制とれない、
答えはひとつに決められない、
そんな時代なんだと実感しました。
インターネットが一般化し、
かつモバイル機器により24時間体制になっていったとき、
世の中は「情報」をいかに上手に扱い、
それをお金に換えるか、という社会になりました。
お茶の間への一方通行メディア(テレビ・新聞)だけの時代は、
天から情報の雨を降らせるような社会だったのが、
インターネットは、天と地の間にある空間を自由に行き来できる。
今でも情報は加速度的に増えています。
そうなってくると、
イケダくんみたいに、ブログで食べていける人も出てきますし、
いろんな産業に「スキマ」が出てきます。
このスキマほど、個人が上手に入り込み、
ブランディングすることで社会的価値を大きくし、
お金に換えていく、ということでやりやすくなりますよね。
そこで出てくるのは・・・?
「嫉妬?」
成功者は嫉妬されやすいですよね。
歴史上、天下をとったり、王になった人って、
いつその座を奪われるかわからない、
って言いますもんね。
そうなるとテンジン大学は天下を取らない方がいい?
取れるわけないか(笑)
そんな実力も野心も人材もおりませぬw
この福岡の街のことを知ってもらい、
人と人が繋がり、街に愛着とプライドを持ってもらえれば!
そのビジョンとわずかな遊び心と
楽しく運営している仲間たちしかおりませぬ。
イケダくんは話すと、
相槌がたいへん上手く、
この若さで独立して家族を首都圏で養い、
何か大きな事業の経験をしたわけでもないからこそ、
すごい努力家(影でめっちゃ読書とか情報収集とかしてる)で、
個人的には、おもしろい人だなぁと。
福岡にはまずもっていないタイプの人なので、
ぜひ福岡に移住して、テンジン大学で先生してもらいたいですね(笑)
この弱肉強食の情報社会を
炎上に負けず生き抜こうとするイケダくんに、
戦国時代の群雄割拠する中で、
がんばって身を興し、独立勢力をつくっているような
そんな武将の姿を思い浮かべました★
そうそう、そんな「生き残り」に掛けた
大河ドラマの軍師官兵衛、見てますか??
昨日まで東京に出張しておりました、
岩永です。
先日、佐賀の富士町で講演したとき、
たまたま前日に武雄市で講演していたイケダハヤトくんが
参加者に交じっていてお話することができ、
「会ってお話しましょう」ということで、
東京で小一時間ほどお話しました。
「イケダハヤトって?」
若くして独立し、
今はブログで主な生計を立てているという若者です。
⇒ イケハヤ書店
こちらがそのブログ。
1日に何本も記事を書き、
このブログ経由の本の販売や広告、
他にも各地で講演したりなど、
10年前にはなかったような働き方をしている若者です。
すでに結婚して子どももいて、
なんと、福岡か高知に移住を考えている、
というおもしろい人物でもあります。
+
これまた先日、
テンジン大学で「江戸しぐさ」の授業がありまーす!
とメルマガを送ったあと、1名の学生さん(実際は社会人)から
1通のお問い合わせをいただきました。
簡単に言うと
「江戸しぐさをテンジン大学が扱っていいのか?」
というご意見。
「どうゆうことだ?」と思った僕は、
江戸しぐさについていろいろ調べてみました。
※授業企画に向けて調べてますが、違う視点で調べました。
ネット上でも見つけたものとして、
「江戸しぐさは実証が不可能な、文書等に残っていない無形なモノを
あたかも体系化されており、江戸町人もそんな文化だった、というような
歴史をねつ造しているところがある」と。
なるほど、なるほど。
「江戸しぐさ」のWikipediaにも、ちょっと「?」のような記述もあり、
口伝えと言ってる時点でその疑惑は絶対に晴らせないですね。
江戸の町人が果たして「江戸しぐさ」の文化だったかどうか
に焦点を当てると、教科書に採用してしまった文科省や
連載記事をしている西日本新聞も、
「大きな間違い」を起こしたことになりますね。
もちろんテンジン大学も(笑)
でも、
批判している人たちを見ていると、
ちょっと矛盾しているところもあるなぁと。
文書が残っていたら歴史なのか?
と。
全世界共通して、歴史とは
文書や物的証拠があるものだけが歴史になっています。
考古学の世界では当たり前ですね。
ですが、その物的なモノがねつ造されたものだったら?
実は、口伝えのモノも、
物的証拠のモノも、
それが本当だったかどうかは誰も証明できないのです。
だって、南米の方の文化って
けっこう口伝えのいわゆる「口承文化」
もともとの民族の言語があったはずなのに、
今ではスペイン語やポルトガル語で文化が受け継がれていたり。
言語が変わったのに文化が継承されるって感覚、
日本人の僕にはあまりピンときませんけど、
口伝えはやはり伝言ゲームになりやすいので、
口承文化には「歌」や「踊り」がくっ付いて
一応目に見えるカタチになっていたりしますよね。
でもそれすらねつ造されたものだったら?
誰も過去の真実は見ることができないのです。
今回の江戸しぐさの件の真実はひとつ。
「江戸しぐさ」ということをブランド化し、
プロモーションした人が上手だった。
ということ。
世の中、どんなことでも
ある程度価値を認められるものであれば、
あとはブランド化してプロモーションが上手であれば、
それが世の中に広がって、そのモノ以上の価値を持ってしまう。
たとえそれが後世に作られたものでさえも。
「ダメだ!ねつ造はダメだ!」
「物的証拠がないものはダメだ!」
を正義としてしまうと、
僕は岩永の姓を名乗れません。
悲しいかな、何も証拠がありません。
お墓はあるけど。(でも祖父の代から。その前は??)
世の中、実はほとんどそんなもんですね(笑)
人間って、おおいなる矛盾を抱えて生活してるんだなぁ
とこの件を受けて思いました。
ただ、お問い合わせいただいた方とフェイスブックでも友達になり、
よくテンジン大学参加くださる方でしたので、
いろいろと意見交換しました。
「権威づけはよくない」
ということで、確かに僕が作成した授業の告知文が
権威づけに繋がる部分があったので、一部修正しました。
こうゆうやりとりができるって幸せだな、と思います。
+
冒頭で紹介したイケダハヤトくん。
ブログで食べてるってことで、
一昔前、「炎上マーケティング」なんて言葉が出てきたように、
彼の過激な発言で「なんだと!」「彼を叩け!」というのが
SNSなどで広がり、なおさら彼の知名度を上げた、
というのがあったようです。
いまもけっこう過激なこと言ってます(笑)
紙のライターよ、「文章の巧さ」を誇る暇があるなら「マネタイズ」を頑張りなさい(イケハヤ書店)
これに、年齢の高いベテランライターさんが
ツイッターで噛みついていて、
なんだかなぁ~と。
世の中、何が正しい、何が正義、
だなんて決められないくらい、
今では価値観が多様化してしまってますね★
このベテランライターさんの発言を
またいち個人が見て楽しんでいる。
そんなよくわからない、
価値観がもうありすぎて統制とれない、
答えはひとつに決められない、
そんな時代なんだと実感しました。
インターネットが一般化し、
かつモバイル機器により24時間体制になっていったとき、
世の中は「情報」をいかに上手に扱い、
それをお金に換えるか、という社会になりました。
お茶の間への一方通行メディア(テレビ・新聞)だけの時代は、
天から情報の雨を降らせるような社会だったのが、
インターネットは、天と地の間にある空間を自由に行き来できる。
今でも情報は加速度的に増えています。
そうなってくると、
イケダくんみたいに、ブログで食べていける人も出てきますし、
いろんな産業に「スキマ」が出てきます。
このスキマほど、個人が上手に入り込み、
ブランディングすることで社会的価値を大きくし、
お金に換えていく、ということでやりやすくなりますよね。
そこで出てくるのは・・・?
「嫉妬?」
成功者は嫉妬されやすいですよね。
歴史上、天下をとったり、王になった人って、
いつその座を奪われるかわからない、
って言いますもんね。
そうなるとテンジン大学は天下を取らない方がいい?
取れるわけないか(笑)
そんな実力も野心も人材もおりませぬw
この福岡の街のことを知ってもらい、
人と人が繋がり、街に愛着とプライドを持ってもらえれば!
そのビジョンとわずかな遊び心と
楽しく運営している仲間たちしかおりませぬ。
イケダくんは話すと、
相槌がたいへん上手く、
この若さで独立して家族を首都圏で養い、
何か大きな事業の経験をしたわけでもないからこそ、
すごい努力家(影でめっちゃ読書とか情報収集とかしてる)で、
個人的には、おもしろい人だなぁと。
福岡にはまずもっていないタイプの人なので、
ぜひ福岡に移住して、テンジン大学で先生してもらいたいですね(笑)
この弱肉強食の情報社会を
炎上に負けず生き抜こうとするイケダくんに、
戦国時代の群雄割拠する中で、
がんばって身を興し、独立勢力をつくっているような
そんな武将の姿を思い浮かべました★
そうそう、そんな「生き残り」に掛けた
大河ドラマの軍師官兵衛、見てますか??
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