このブログを書き始めて以来、1カ月以上開けたことがあるだろうか・・・。
どうもすいません。
WEBの情報発信はツイッターやSNSに時間を割くと
どうもブログに書く意識が薄れるようです。


あ、岩永です。


まずご報告ですが
先日27日(木)に一区切りを迎えました。
そうです、NPO法人の申請書を、福岡県NPOボランティアセンターへ
提出してきました。


そして、
9月23日(祝)ですが、そうです。
「開校1周年」だったんですねー。
この日に起きたこと、そしてこの日から始まったことは、
またのちのちにしっかり書かせていただくとして、
最近の自分の周りに起こっていることや、
関心が高く、そちらの方向へ行こうとしてること、
などについて書こうと思います。


では、書きます。


ここ最近は、めっぽういろんな機関、いろんな方から
これまた多岐に渡る相談をいただきます。
しかし、一貫してこれらをひとつの言葉にまとめると
「プロデュース」です。


そしてそれを少し分解すると
・コミュニケーション
・企画アイデア
・人材育成


です。
おもしろいことに、
これら分解した3つの要素は、
僕自身が最も関心があり、
本業としていきたいと思っていること。


で、この話はまた別にしますが、
その相談の中で、僕自身が「最も困難」と思っており、
しかし「最も情熱を掛けるに相応しい」と思っている、
とある1つのことについて書きたいと思います。


それは・・・


福岡城天守閣模型 - コピー.jpg


「お城?」


そうです。
お城です。


福岡が、なぜ「福岡」と付いたかの由来って
あんまり知られていませんよね。


誰が付けたのかは、通説があります。


1600年に関ケ原の戦いで東軍(徳川家康側)に付き、
尽力した褒美として「筑前52万石」を賜った、黒田長政。
彼とともにここにやってきた父・黒田如水。


この黒田如水、豊臣秀吉に天下を取らせた男と言っても過言ではなく、
秀吉にして、自分の次に「天下を取れる男」と言わせた男。
もちろん家康や前田利家などいた時代にです。


その如水は「天下の築城名人」。
あの秀吉の名城「大坂城」も縄張りはこの黒田如水が担当。


その如水がここ福岡城の縄張りを行ったと言われていて・・・
まだこの地にお城ができる前、この地の地名は「福崎」。
そう、「福岡」という文字は一切なかった。


築城の間、如水は太宰府天満宮に住んでいて、
よく趣味の連歌を催した会を開いていて、
そのときに息子の黒田長政を呼んで、読んだ歌がこちら


「松梅や末長かれとみどり立つ 山よりつづく里は福岡」


そう、歴史上、はじめてこの地に「福岡」と出てきたのはここが最初と言われてます。
この「福岡」はもともと黒田家が繁栄をした、備前国(岡山県)の福岡村から
とったと言われる地名です。


さて、そんなことで「福岡城」と付いたこの城ですが
今どんなふうになってます??


石垣が残るのみで、
福岡城歴史博物館みたいなのもない。
となると、福岡人の中にも「えっ?福岡ってお城あったっけ?」
みたいな人も出てくるわけですよ。


お隣の県、熊本を見てください。
みんな小さい頃から「熊本城」を見て育ち、
親や大人たちから「熊本城」そして「加藤清正」について教えてもらう。
その精神は、高い自分の地元の街への「愛情」になります。
それが街のランドマークとしての役割であり、
市民の心であります。


これがない福岡。
どこか心がバラバラでまとまりのない、と言われる福岡。



ところで、なんでお城がないんでしょう??



なかったのではなく、
あったんです。
正確には「天守閣」がなかったのです。


記録上は。


そうです。
歴史は全て紙に残ってる「記録」によってできています。



この福岡城天守閣の論争は
九産大の先生のあった派と、九大の先生のなかった派の争いですが、
最近、福岡城の天守閣が描かれた「絵画」が出てきたり、
当時は小倉藩にいた細川忠興の父親に当てた手紙に
「天守」の文字があったりと、だんだん「あった」説に
世論が傾きつつあるとか。



そんな中、
83歳の「福岡城・天守閣を復元させる!」として活動をされている方と
会うことになりました。


その前から福岡城に天守閣があったらなぁ!と思っていたので、
とてもいいご縁です。



その方からいろいろ情報をもらったわけですが、
上に掲載した写真は、糸島に住まわれて活動をされている大工さん、
中神さんという方の作品で、「福岡城天守閣」の模型なのです。



合成福岡城 - コピー.jpg



これは、福岡城址の天守台の石垣(天守台はあった)に
合成で「姫路城天守閣」をのっけた写真(笑)



今では世界遺産の姫路城、熊本城も負けじと人気ですが
この2つの城があった藩、どちらも福岡藩と規模が同等。


さらに黒田如水は縄張りの築城名人で、
加藤清正にして福岡城を見たときに「驚愕した」と言わせたほどの城郭。


そんなところに天守閣があってごらんなさい!!
姫路城並みの天守閣があったことは間違いなく(想定では高さ27mらしい)
これが再建されたら・・・


そして夜にライトアップされたら・・・


文化庁は、あったかなかったのか、確定してないので
再建許可を出さなかったそうで、当時の福岡市長も
全力で城を再建しようと動かれたそうですが、
今となってはその火は、ほとんど60歳を過ぎた方々のものに・・・。


しかし、しかしです。


お会いした83歳の活動家の方は
「生きている間に、天守閣が建つと思えない、
 せめてこの想いと長年の情報の蓄積を、
 若い人に継いでもらいたい」
として僕に話をしてくれました。


そして、とある貴重な情報を教えてくれました。


東京国立博物館の
江戸初期の幕府役人の、九州視察の日記から
「福岡城に天守閣があった」とされる記述が見つかった!とか。


本当かどうかはわかりません。
本当なら早くリリースして一般的になって欲しいです。
「お城だより」という広報誌?で公表する、とおっしゃってましたが・・・


なぜこれほどに「お城」に熱くなるかというと(笑)
個人的に歴史好きでお城好きというのもありますが~


福岡に観光客が来てくれたとき、
知り合いが遠方より来てくれたとき、
「ご飯がおいしいところ」としか言えないって
とても悲しくありませんか。


「太宰府天満宮くらいしかない」なんてことしか言えないことが。


福岡城天守閣が復元されたら
145万人都市です。
毎年アジア周遊のクルーズ船が来て年間60万人来てます。
日本中から福岡を通過点に九州旅行に来ている人がいます。


年間100万人の来場は固いでしょう。
そして、福岡市民は「福岡城」を誇りに想い、
黒田長政・如水親子のことを語り始めます。


立派な石垣はないけれど、
そのそばにある「大堀」が大濠公園になり、
博多区の御笠川沿いにおびただしく並ぶ寺院の理由も、
天神地下街にある「堀」のあとも、
人々は語りはじめるかもしれません。

福岡を象徴する写真やイラストが福岡タワーではなく、
ヤフードームでもなく、福岡城に。


福岡という街は
戦後、サービス業によって発展し、
工業化しなかったがゆえに発展が遅く、
いまだに人口が増え、若者がまだ比較的多い
日本最後の都市になりました。


だからこそ「よそ者」が多く、
もともと福岡に住んでいた人がとても少ない、
「街に愛情を落とせない街」という、
悲しい結果を生んでいます。


犯罪率やマナーの悪さは日本一って言ってもいいです。


この日本を象徴する「お城」が
ランドマークとしてあるかないか。


街に誇りを感じ、
街を愛する媒体になりうるスペシャルなもの。


僕は、今年、
自分が想っていた小さな想いを
人生最後の情熱としてかけて動いている方の心に触れました。


僕も、人生かけて
この想いを少しずつ自分の中に落とし込んで
「福岡城・天守閣復元」に向けて動いてみたいと思います。


僕がとる方法はひとつ。
「運動」です。ムーブメントです。


「福岡にやっぱりお城ってあった方がよくない?」


こう想ってくれるだけでいいです。
そして、観光客や遠方より友人が来たときに言ってください。
「福岡城に天守閣があったらね~、案内してたんだけどね~」
「あの熊本城つくった加藤清正もビビった城だったらしいよ~」
と。



あ、長いですね。
今日はこのへんで。
おやすみなさい。

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