- 2011-02-05 11:28:21
- コミュニケーション?
-
カテゴリ: 日記
つい先日、68歳の方を紹介いただきました。
2年前にとある広告会社の常務職を引退し、
現在は数社の顧問などをしている方です。
その方は、その広告会社の方からテンジン大学の話を聞き、
さらに10月にやった古文書の授業の先生
天本さんともお知り合いで、僕の話になったそう。
福岡の街で「福岡テンジン大学」の言葉を知っている人が
想像以上に多いことに驚きます。
学生登録数は今日現在で900人を超えていますが、
知名度だけで言うときっと数倍にもなるみたいですね。
会う人、会う人から言われます。
さて、その68歳の方。
「現役を引退してから、下の世代のために自分ができることを」と。
25歳だった当時、おなじく60歳を超えた方から
全く同じことを言われ、感動したのを思い出します。
こんなカッコイイ大人になりたい。
そんなカッコイイ大人がいる街ってステキだと思います。
そしてこうとも言われました。
「いかに価値観・環境の違う“人”との対話が人間的にも仕事の面でも
人を成長させ、モチベーションをあげるか。そんな場が必要」と。
この言葉、僕もまったく同意見です!!
12月に掲載してもらった、
とある雑誌のコラムを書いたのですが、
それを紹介したいと思います。
※福岡県腎臓病患者会員向けの広報誌にてコラムを書きました。
<タイトル>
コミュニケーションに自信はありますか?
<本文>
世の中が便利になる、インターネットにより情報が溢れる、
そうなると人間は自然に、多くの情報を知識として認識し、
自分に合った情報のみを選んで取得するようになります。
今の10~30代は、そのような中で育ち社会へ出てきています。
今ではインターネットなどのコミュニケーション手段で、
男女の出会いさえ成り立たせてしまうほど、
便利が当たり前になっています。
便利が当たり前、伝える手段が簡単になると、相手の顔が見えない、
声もわからないままコミュニケーションが成り立ちます。
現代は、若者だけでなく多くの人間が、価値観の違う、
趣味趣向の違う人との付き合いを避け、
都合の良い人間関係に囲まれる環境を手にすることができる
便利な時代ともいえます。
血縁や土地とのコミュニティから解放され、
職場のコミュニティさえ崩壊してしまいつつある社会になりました。
インターネットというコミュニケーション手段は
それをさらに助長しています。
趣味趣向が同じ、年代が同じ、
そしていつも会う人たちが同じコミュニティにいると、
不思議なことに少ない言語で会話が成り立つようになります。
ダーウィンの進化論ではないですが、このような状態を続けると
独自のコミュニケーションは発達しても、
価値観も年代も違う人とのコミュニケーションが
衰退するのではないでしょうか。
コミュニケーションが上手というのは、
道具を使いこなせることではありません。
自分が伝えたい相手に、内容がしっかり伝わったのか、
心を動かすことができたのか、相手の心の小さな動きに気遣いながら、
そのときに合った方法で伝えることができるのを
コミュニケーション上手といいます。
コミュニケーションが衰退するということは、
相手の気持ちを汲み取る力の衰退を意味します。
私は、2004年の2月よりグリーンバードという
街をそうじするボランティアに出会いました。
毎週月曜と木曜の朝7時30分から1時間、
できる限りで参加し続けています。
たくさんのゴミを拾い続けていますが、
本当に拾ったのは「人との出会い」。
年間に約300もの「はじめまして」があり、
そうじをしていたことで「天神の街づくり」に関わり、
行政の方から企業経営者、商業施設の店員さんから、
障がいを持った方まで老若男女多種多様な方々と
コミュニケーションをとる機会がありました。
価値観も年代も違う相手とのコミュニケーションの積み重ねは、
相手がどのように受け取ったのか、
どのような気持ちになるかを教えてくれました。
2010年9月に開校した「福岡テンジン大学」は、
老若男女多種多様な方々がいる「福岡」という街で、
学びを入口にした様々なテーマの授業を展開することで、
顔が見え会話が生まれる「人の出会い」を演出します。
授業も教える側が一方通行で教えるのではなく、
教わる側同士が対話をする機会も作ります。
福岡テンジン大学に参加する人が増えれば増えるほど、
この街からコミュニケーション下手が減っていく。
人の気持ちを理解するのに長けた人間が増えていく。
コミュニケーション上手を増やすことは、
人の気持ちを理解できる「優しさ」を育むことに
つながるのではないでしょうか。
以上です。
インターネット社会は便利な分、
自分に必要な、都合の良い、情報や環境にすることが可能になりました。
それが、コミュニケーションを上手にする機会を減らし、
違う価値観を受け入れられず、
様々なところで問題を引き起こしている気がするんです。
人間が起こす諸問題は、
コミュニケーション不足から生まれている。
この言葉も
25歳のときに、60歳を超えた師匠からいただいた言葉です。
2年前にとある広告会社の常務職を引退し、
現在は数社の顧問などをしている方です。
その方は、その広告会社の方からテンジン大学の話を聞き、
さらに10月にやった古文書の授業の先生
天本さんともお知り合いで、僕の話になったそう。
福岡の街で「福岡テンジン大学」の言葉を知っている人が
想像以上に多いことに驚きます。
学生登録数は今日現在で900人を超えていますが、
知名度だけで言うときっと数倍にもなるみたいですね。
会う人、会う人から言われます。
さて、その68歳の方。
「現役を引退してから、下の世代のために自分ができることを」と。
25歳だった当時、おなじく60歳を超えた方から
全く同じことを言われ、感動したのを思い出します。
こんなカッコイイ大人になりたい。
そんなカッコイイ大人がいる街ってステキだと思います。
そしてこうとも言われました。
「いかに価値観・環境の違う“人”との対話が人間的にも仕事の面でも
人を成長させ、モチベーションをあげるか。そんな場が必要」と。
この言葉、僕もまったく同意見です!!
12月に掲載してもらった、
とある雑誌のコラムを書いたのですが、
それを紹介したいと思います。
※福岡県腎臓病患者会員向けの広報誌にてコラムを書きました。
<タイトル>
コミュニケーションに自信はありますか?
<本文>
世の中が便利になる、インターネットにより情報が溢れる、
そうなると人間は自然に、多くの情報を知識として認識し、
自分に合った情報のみを選んで取得するようになります。
今の10~30代は、そのような中で育ち社会へ出てきています。
今ではインターネットなどのコミュニケーション手段で、
男女の出会いさえ成り立たせてしまうほど、
便利が当たり前になっています。
便利が当たり前、伝える手段が簡単になると、相手の顔が見えない、
声もわからないままコミュニケーションが成り立ちます。
現代は、若者だけでなく多くの人間が、価値観の違う、
趣味趣向の違う人との付き合いを避け、
都合の良い人間関係に囲まれる環境を手にすることができる
便利な時代ともいえます。
血縁や土地とのコミュニティから解放され、
職場のコミュニティさえ崩壊してしまいつつある社会になりました。
インターネットというコミュニケーション手段は
それをさらに助長しています。
趣味趣向が同じ、年代が同じ、
そしていつも会う人たちが同じコミュニティにいると、
不思議なことに少ない言語で会話が成り立つようになります。
ダーウィンの進化論ではないですが、このような状態を続けると
独自のコミュニケーションは発達しても、
価値観も年代も違う人とのコミュニケーションが
衰退するのではないでしょうか。
コミュニケーションが上手というのは、
道具を使いこなせることではありません。
自分が伝えたい相手に、内容がしっかり伝わったのか、
心を動かすことができたのか、相手の心の小さな動きに気遣いながら、
そのときに合った方法で伝えることができるのを
コミュニケーション上手といいます。
コミュニケーションが衰退するということは、
相手の気持ちを汲み取る力の衰退を意味します。
私は、2004年の2月よりグリーンバードという
街をそうじするボランティアに出会いました。
毎週月曜と木曜の朝7時30分から1時間、
できる限りで参加し続けています。
たくさんのゴミを拾い続けていますが、
本当に拾ったのは「人との出会い」。
年間に約300もの「はじめまして」があり、
そうじをしていたことで「天神の街づくり」に関わり、
行政の方から企業経営者、商業施設の店員さんから、
障がいを持った方まで老若男女多種多様な方々と
コミュニケーションをとる機会がありました。
価値観も年代も違う相手とのコミュニケーションの積み重ねは、
相手がどのように受け取ったのか、
どのような気持ちになるかを教えてくれました。
2010年9月に開校した「福岡テンジン大学」は、
老若男女多種多様な方々がいる「福岡」という街で、
学びを入口にした様々なテーマの授業を展開することで、
顔が見え会話が生まれる「人の出会い」を演出します。
授業も教える側が一方通行で教えるのではなく、
教わる側同士が対話をする機会も作ります。
福岡テンジン大学に参加する人が増えれば増えるほど、
この街からコミュニケーション下手が減っていく。
人の気持ちを理解するのに長けた人間が増えていく。
コミュニケーション上手を増やすことは、
人の気持ちを理解できる「優しさ」を育むことに
つながるのではないでしょうか。
以上です。
インターネット社会は便利な分、
自分に必要な、都合の良い、情報や環境にすることが可能になりました。
それが、コミュニケーションを上手にする機会を減らし、
違う価値観を受け入れられず、
様々なところで問題を引き起こしている気がするんです。
人間が起こす諸問題は、
コミュニケーション不足から生まれている。
この言葉も
25歳のときに、60歳を超えた師匠からいただいた言葉です。
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